涅槃
2月4日は立春でありましたが、「春」という字が入っているので「温かくなる兆しもないな〜」と思ってしまいます。ここで考慮されているのはあくまで太陽の動きから計算されたものであり、さらには二十四節気は中国の特定の地方の気候に基づいて作られたこともあり、多少のズレが見受けられます。そのため、立春だから日本が温かくなり、蕾から少し花開くという示唆ではないようです。ただ、忙殺されるような日常において暦の上での二十四節気から季節を感じつつ天候や自然の中から四季を見つけるような心の余白を少しだけでももてるようにと。
お釈迦さまの入滅
2月15日はお釈迦さまが亡くなられた日になります。いわゆる、入滅(にゅうめつ)。いわゆる、涅槃(ねはん)。いわゆる、ニルヴァーナ(昔のインドの言語であるサンスクリット)。仏教徒にとって大切な日であります。
またそれと同じく大切な日があります。お釈迦さまの誕生の日4月8日、悟りを開かれた日12月8日、そして、本日亡くなられた日であります2月15日。これらを総じて、三仏忌(さんぶっき)と言います。
今回はお釈迦さまが亡くなれる間際に残された言葉をご紹介いたします。
比丘は、自らを洲(しま)とし、自らを拠りどころとして、他をよりどころとせず、法を洲とし、法を拠りどころとして、他をよりどころとせずに、住(じゅう)しなさい。
『釈尊伝』(パーリ長部「大般涅槃経」)
『釈尊伝』の著者古山先生によれば、「ここにいう「自己」とは大いなる自然の摂理の上にある生命の法則に生かされている「自己」であり、その本質のままの真実の「自己」である。無明に覆われ、我見・我執がとりつき、渇愛に縛られた「自己」ではない。また、「法」とは、その生命の法則であり、「自己」というものの本質・真実である。すなわち、無常、苦、無我(または非我)、縁起のことである。生・老・病・死の「苦」からの解脱は、常にこの「自己」と「法」というところに立ち戻って自分を見つめるところに実現する」と説明している。
最後に
「仏の教え」と書いて、仏教であり、お釈迦さまの行いや教えをを行じ、生きて行くことが僧侶であり、仏教徒なのかと思うのです。
もう少し身近に目を向けると、亡くなられた人に対してとてつもない悲しみを感じる一方で、その故人の見習うべき行いや教えを継いで行じることこそが、故人の供養につながり、さらには故人の方を仏に昇華させることではないかと思うのです。