インド〜仏跡を訪ねる〜vol.2
卒業式も終わり、新たな門出の時期に入ります。
4月から新年度ということで環境が変わる人、変わらない人に限らず、花粉に負けずにこの季節を頑張っていきましょう!
2日目
この日はサールナートへ出発します!
サールナートは仏教四大聖地の1つ。お釈迦さまがが初めて説法、初転法輪をした地。ブッダガヤで悟りを開いたお釈迦さまが5人の弟子の元を訪れ、初めて説法をしたという聖地で、仏教徒にとって仏教の生まれた大切な聖地です。
デリーからベナレス郊外のサールナートへ飛行機で向かいます。
空港では出発ゲートが急きょ変更になり、空港内の端から端まで走り、旅行中の運動不足を取り返しました。
ベナレスに到着後、バス移動。チャウカンディーストゥーパ、5人の修行者が(5比丘)お釈迦さまを出迎えた場所をバスの中で見ました。
その後にサールナート考古博物館に向かいました。
博物館は携帯持ち込み禁止でカメラ単体はOKというルールのようです。博物館ではインドの紙幣にも描かれているアショカ王の獅子頭柱が入り口ど真ん中に鎮座。紀元前250年頃に作られました。当時は頭には法輪が乗っていたとされていましたが、1905年に発見された時にはありませんでした。インドの国宝の中でも最も重要なもので、インドの国章にもなっています。
ところで、アショカ王とは?ですが、
アショカ王は、紀元前3世紀にインドで活動した古代のインドの王です。マウリヤ朝の第三代の王であり、その統治はインド史上最も重要な時代の一つと考えられています。アショカ王は征服者として知られていましたが、特に統治後期に仏教に改宗し、非暴力と教化に焦点を当てたことで知られています。アショカ王は、インドの統一と仏教の普及に力を入れ、仏教の影響を強化しました。
アショカ王柱もあり、王が北インド各地の仏教聖地に建てた記念石柱。
次にダルマラージカ・ストゥーパです。これもアショカ王が建立。真ん中にはお釈迦様の遺骨(仏舎利)があった。7世紀に玄奘三蔵が長安から訪れたときには高さ40メートルほどの大きなストゥーパがあり、1794年にベナレスの王様が破壊して仏舎利もガンジス川に流してしまったそうです。(法要を行なった)
サールナートの象徴とも言えるダメーク・ストゥーパ(ダメーク大塔)は6世紀にアショカ王により建立。高さ約43.6メートル、直径約28メートルあるサールナートのシンボル的な仏塔。世界各地から多くの僧侶や仏教徒が訪れ、仏塔の周囲では多くの方が読経したり礼拝していました。
最後に初転法輪寺(香雪が命名・ムーラガンダークティー・ビハーラ)です。壁にはお釈迦さまの人生を絵で振り返られるように描かれています。
初転法輪寺の成り立ちや壁画の歴史や苦悩がわかりやすくまとめられています。
野生司香雪 インドの仏伝壁画保全プロジェクト:https://nosu.info/kosetsu-nosu-and-indian-buddhist-biography/buddha-mural-of-sarnath/
辿る 馳せる
お釈迦さまの足跡を辿りながら、わずかに残存する歴史書にあたり、2500年前に想いを馳せる旅。
2500年の間には栄枯盛衰の世の中で、遺跡は朽ち、文献は消失し、現在に至ります。お釈迦さまの時代を想像しながら、旅を続けて行きたいと感じました。