坐禅についてしっくりきたこと

前回のブログからつなぐと、本日が臘八摂心1日目です。坐禅の直後に書いており、本日の摂心参加者は0人でした…。坐る前に1人の寂しさとはちみつを入れた生姜湯を一緒に飲みました…。

1人で黙々と坐禅をしながら、「この時間に坐禅している人多いのかな〜」と思い、気づけば考えごとしている自分に出くわした初日の坐禅になりました。

今回は坐禅についての話を聞く中で、しっくりきた説明をご紹介します。

坐蒲(ざふ)の上にいのちひとつ

まず、坐禅するにあたって、坐蒲という坐禅用のクッションに坐ります。そして、足を組み、手を組み、身体を調え、呼吸を調えます。最後にだんだんと心を調え坐っていきます。

心を調える心構えとして、永平寺の老師の方は

「坐蒲の上に坐っているのは、男でも女でも、誰かにとっての兄や弟、息子や娘、先輩や後輩なんていうものはなく、いのちひとつが上に坐っている」

私の中で、ハッとさせられた言葉でした。自分の頭の中での計らいを全ておろし、ただ坐る。

坐禅は坐禅、贅沢な時間

ひとたび、社会に出れば、人間関係や仕事、時間に追われ、情報の波に心が揺れ動いているように思います。そのような中で、坐禅してみる。坐るのみ。そこには「坐る」という動詞に自分が溶けていくような感覚があるのではないかと思います。

それが贅沢な時間だと味わうことが大切だと思い、また坐っていこうと思います。

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