放てば手にみてり

年末はどのようにお過ごしでしょうか。私は例年この時期になると体調を崩してしまうので、1に体調管理!2に体調管理!という心持ちで過ごしております。

見る世界

マイブームは水族館で観たチンアナゴである2歳6ヶ月になる娘。そんな娘と散歩にでかけると、道端にはすすきが風になびいて、頭をふりふりしていた。

そのすすきが欲しいようで、「これとってぇ」。すすきを1本小さな手で握りしめると、満面の笑みを浮かべ、散歩が再開する。自分のすすきをふりふりしながら、黙々と進んでいく。

その道中には、あまり見ることのない名前も知らない鮮やかな赤い花やお家の玄関に大きなブーツを模した植木、お店屋さんのショーウィンドウに飾ってあるトイプードルの人形があった。そんなものは娘の見る世界にはない。なぜなら、握りしめるすすきが娘の世界だからである。

しかし、散歩の折り返しに差し掛かり、握るっていることのめんどくささからか、すすきに対しての興味が著しく低下してしまった。日頃から「お花さん」や「お野菜さん」と言っている手前、無碍に捨てることに抵抗があったのか私に「あげるよぉ〜」と渡してきた。

10分程度握っていた右手は解放され、折り返しの散歩が始まった。

案の定、あまり見ることのない名前も知らない鮮やかな赤い花に「赤いねぇ〜」と。

お家の玄関に大きなブーツを模した植木「大きいねぇ〜」と。

お店屋さんのショーウィンドウに飾ってあるトイプードルに「ダンク!」と以前まで飼っていたプードルの名前を呼んだ。

執着を放してみると

道元禅師の『正法眼蔵』弁道話の中に

放てば手にみてり

『正法眼蔵』弁道話

という言葉があります。「手持っている」いわゆる、自分が持っている価値判断や偏見などのあらゆる執着です。こうあるべき、こうしなくちゃいけないんだという思いに悩み、苦しんでしまう。その持っているものを手放してみることにより、見えてくる世界、そして、すでに満たされていることに気づくという教えです。

自分自身も「父親というものは…」「妻というものは…」「子育てというものは…」「僧侶というものは…」といった思いをを知らず知らずのうちに握っていたことに気づいたお散歩でした。

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