「今日はいいや」という気持ち
今年は冬が来るのだろうかと思わせるくらいに長い夏を過ごしているように思います。秋を感じるにはスポーツか!?読書か!?食欲か!?など聞きますが、落ち着いて考えると1年を通して、もれなく味わっているような気もします。今回はスポーツの秋を受けて、ランニングを始めたお話を少し。
ハーフマラソン出よっか
職場の簡単なノリから昨年の2023年3月5日(日)に開催された第15回Mine秋吉台ジオパークマラソンに参加してきました。
秋吉台は山口県美弥市にあります最低標高:168m 最高標高:301m 高低差:133mのコースです。この日のために参加する友人と練習を(少し)重ねてきましたが、3週間前に膝に違和感を感じ、病院で診察を受けると靭帯が軽度の損傷と診断されました。出場を断念し、観光へと切り替わる脳内での判断は早いものでした。しかし、大会を間近にして、時間を気にせず走ろうと考え、当日ハーフマラソンに出場しました。走ると10キロ地点で膝に痛みを感じ、痛くないような走り方を模索しながら、様子をみましたが、結局コースの後半は歩き、時間ギリギリで完走しました。
完走の喜びよりも体調を万全にするべきだったというおもいが強くあり、すぐに次回のマラソンへと気持ちが切り変わりました。
「今日はいいや」の連続!
次回のマラソンが2023年11月5日(日)気仙沼つばきマラソンに出場します。しかし、走ろうと思いながらも、「眠い」、「今日は○○あるから」などと適当な言い訳を必死になって探し、自分に言い聞かせている始末です。やはり自分の性格上、誰かを巻き込んで行うことが継続できることなのかなと感じています。
仏教でいえば
人人(にんにん)皆、道を得ることは衆縁による。人人自ら利なれども、道を行ずることは衆力を以てするが故に、今心を一つにして参究尋覓(さんきゅうじんみゃく)すべし。玉は琢磨(たくま)によりて器となる、人は練磨によりて仁となる。何(いずれ)の玉かはじめより光有る。誰人(だれびと)か初心より利なる。 必ずみがくべし、すべからく練るべし。自ら卑下して学道をゆるくする事なかれ。
『正法眼蔵随聞記』(大久保道舟編 『道元禅師全集』下巻)
訳として
一人一人皆、仏の道を得ることは、一緒に修行する者たちとの縁による。一人一人皆、もともと能力をもっているけれども、仏の道を実践することは、一緒に修行する者たちの力によってできるのであるから、今は皆が心を一つにして道を参じ努め、尋ね覚めるべきである。玉(宝石)は磨くことによって器(立派な器物)となる。人間は鍛えることによって仁 (徳を具えた人間)となる。初めから光っている宝石があるだろうか。 初心のときから優れている人間がいるだろうか。 必ず磨かなければならない、必ず練らなければならない。自ら卑下して修行を緩くしてはならない。
『ZEN 道元禅師の生き方〜「正法眼蔵随問記」』角田泰隆
仏道にしかり、部活や勉強にも当てはまると思いますが、現在のランニングを怠慢している私に深く刺さりました。さっそく、ランニング仲間を探さねばとも思いました。またシンプルにランニングが好きで心地の良いものであればひとりでもできるのだろうとこの文章を書きながら感じました。
まとまりもなく、まとまらせることもしないままに今回のブログは閉じたいと思います。
最後に秋吉台ハーフマラソンを完走後、膝の痛みと友の大切さを感じながら、秋芳洞という鍾乳洞の観光をした時の1枚です。