器をヨシヨシ

過ぎてしまえば、一瞬の如く駆け抜けていったゴールデンウィーク。いかがお過ごしでしょうか。

私は茨城県笠間市の「笠間の陶炎祭(ひまつり)」に行ってきました。その祭り期間は笠間市内外から200店舗を越える出店者が笠間芸術の森公園に集結しました。笠間焼の歴史は江戸時代中期、1772〜1781年から始まります。その後、幕末から明治時代にかけて、笠間藩に保護される形で、日用雑器が作られました。さらに同時代は江戸からアクセスが容易であり、必然と人や物の流動性が高くなるため、大量生産をして、技術者や従事者も増加しました。という地理的利点を生かし、現在でも歴史を重ねながら、陶芸の里として、賑わっておりました。写真があれば良かったのですが…。

民藝

民藝とは名も無き職人の手から生み出された日常の生活道具、「民衆的工芸」として、柳宗悦(1889〜1961)によって見出された。民藝は美術品を志向する作品や豪著な装飾、安価な量産、輸出用の華美な鑑賞品へと向く近代の工芸品に対し、名も無き職人の手による日常の生活用具にこそ美しさがあるとする美学であり、それ自体が思想的な運動であった。

季刊民族学『特集 民藝 人とモノとが出会うとき』 千里文化財団 p.36

 

また、柳が名も無き職人の手による日常の生活用具、器物に惹かれていきました。それは当時、植民地化され、日本社会にあって蔑まれていた朝鮮半島の歴史環境や気象条件においても苦難の中に未来へと繋ぐ、さらにはその場で無限の広がり見出せる芸術に可能性を求めた文章と出会ったところにあります。

そこに柳は

世間からの評価とは無縁と思われる世界に、柳は「『親しさ』Intimacy」を見出した。なぜか。朝鮮の歴史と現状に、人間が人間である限り逃れようのない、深い悲しみを痛感したから、だ。自分もまた悲しい存在である。貧富貴賤の違いなく、ひとしく人は悲しさを免れえない。 ありのままの生を前にして、派手な意匠でその悲しみを糊塗するのではなく、悲しさをそのままに受けとめ寄りそう健気さ。「悲みのみが悲みを慰めてくれる」

同書 p.66

悲しみは否認することではなく、悲しみを受け入れることからはじまる。その悲しさを目の当たりにして、あるいは自身に引き当てて考えてみれば、そこには自ずと「『親しさ』Intimacy」現れるのではないかとこの文章から考えられます。

最後に民藝を通した生き方を提示しています。

民藝を通して見出されるべき「人間らしさ」は親しさと悲しさを併せ持った「いとおしさ」という情感に貫かれたものとして、人間を否定したり排除したりしない姿勢を求める。

同書 p.67

私も笠間市で手に取った器を日常生活でいとおしく扱いながら、その感覚を広げていくように努めてまいります。

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