環境をととのえる

先日、京都の南禅寺をお参りしてきました。

南禅寺は臨済宗南禅寺派の大本山。1291年に亀山法皇が無関普門(むかんふもん)禅師を開山に迎え、開創されました。

ドンっとした寺構えに綺麗にととのえられた境内、ゆったりとした時間が流れる空間に身を置くことができました。紅葉シーズンはまた違う空間に変わることでしょう。

その境内には池や木々があり、水の流れる音を感じると「ずっと居座れるなぁ」という気持ちになったと言いますか、実際に長いこと居座りました。

サスペンスドラマでも有名な南禅寺の「水路閣」。明治維新後の京都を復興するために琵琶湖の水を京都へと繋ぐ水路です。

木の中を覗いてみると、大きなカタツムリが身を隠していました。個人的な大発見。

南禅寺のお参りを通して、誰でも自由に好きな時間を過ごせるようなお寺の空間作りを励みます。

お昼は銀閣寺・南禅寺を結ぶ哲学の道を物思いにふけながら見つけた「GREEN TERRACE」というお店でいただきました。

お店の内・外のおしゃれさもさることながら、1品1品のこだわりを感じる料理。また行きたいお店になりました。

 

何をやるにもまず環境を

道元禅師の弟子で永平寺の2代目の住職となった孤雲懐奘(こうんえじょう)禅師が書かれた『正法眼蔵随聞記』では

霧の中を行けば覚えざるに衣しめる。

水野弥穂子『正法眼蔵随聞記』p.282

とあり、同書の口語訳の全文では

ある日、教えて言われた。

昔の人は、「霧の中を歩くと、知らないまに、着物がしっとりする。」と言っている。すぐれた人に親しんでいると、気がつかないうちに、自分もすぐれた人になるというのである。

昔、倶胝和尚(ぐていおしょう)につかえていた一人の童子などは、いつ仏法を学び、いつ修行したとも見えず、自分でも気がつかなかったが、久しく仏道を学んだ人の身近にいたので、道を悟った。

坐禅も、自然に長い間やっていると、ひょっこりと悟りが開けて、坐禅が仏法の正しい入り方であることがわかる時もあるであろう。

水野弥穂子『正法眼蔵随聞記』p.284

とあり、その道の優れた人の近くで過ごす時間が自分に影響を及ぼすことを示しています。ここでは長らく仏道に身を置いた師との時間によって気づかない内に、自らも仏道をしっかりと踏み締め歩いているということです。

 

引用の中で「霧」という表現を言い換えるとすれば「環境」のこと。霧は知らずうちに服を湿らせている、それは知らず知らずのうちに環境によって、自分が影響しているということです。周りの人によって、つながりによって影響される。

尊敬できる人の近くにいれることがとても素敵なことなのだと考えさせられます。また人に限らず、モノも例外ではないと思います。例えば、勉強する時に机が整理されていない…スマートフォンをついつい触ってしまう…などの様々な妨げがモノからもあるはずです。

何かを成すときは、まず環境を整えることから始まることを「霧の中を行けば覚えざるに衣しめる」という言葉が示しています。

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