絵本紹介#10『ことりのおそうしき』

花粉症ではないという自覚がありながら、目の痒みと鼻水に悩まされおります。この季節は自己を知ることを思い知らされます。


『ことりのおそうしき』マーガレット・ワイズ・ブラウン

今回ご紹介する絵本は『ことりのおそうしき』です。

ことりのおそうしき

近年、葬儀のかたちは大きく変わってきました。
火葬のみで見送る「直葬」や、身近な家族だけで営む「家族葬」など、葬儀のあり方は時代とともに多様化しているように感じます。

また、看取りの場所についても少しずつ変化があります。
近年は自宅で最期を迎える方がわずかに増えてきているとも言われますが、日本では現在でも およそ7割以上の方が病院で亡くなっているとされています。
人生の最期の場面が、日常の生活の場から少し離れたところで迎えられることが多いのが現状とも言えるかもしれません。

以前、私が訪問したある高齢者施設では、入居されている方が亡くなられると、施設の中に小さな焼香台が設けられるのだそうです。
そして、入居者の方々や職員の皆さんが順に手を合わせ、静かにその方を偲び、悼む時間をもつのだと伺いました。

日々をともに過ごした方を見送るための、ささやかではあるものの、あたたかな時間。
そこには、亡くなった方への感謝や思い出が自然に想起され、穏やかな追悼の場が生まれているようでした。

一方で、別の施設の方からは、こんなお話を伺ったこともあります。

「私の知っている施設では、『死』をできるだけ感じさせないようにしています。
亡くなったことが周りの人の目に触れないよう、静かに送り出しているのです。」

「死」という出来事を、できるだけ日常から遠ざけようとする考え方も、確かにあるのだと思います。

しかしその一方で、亡くなった方に手を合わせ、悼む時間をもつことは、私たちに「いのち」というものをそっと思い出させてくれるものでもあります。
誰かの死を悼むという行為の中には、その人が生きていた時間への感謝や、ともに過ごした日々の記憶が宿っているからです。

そしてその思いは、やがて静かに、「今をどう生きるか」という問いを私たちに返してくれるのではないでしょうか。

今日という1日も、当たり前にあるようでいて、実はかけがえのない時間です。
亡くなった方を悼むという行為は、同時に、残された私たちが「今を生きている」ということを、あらためて思い起こさせてくれる営みでもあるのかもしれません。

そんなことを、やさしく教えてくれる絵本が、今回ご紹介する『ことりのおそうしき』です。

この絵本は、子どもたちが野原で1羽の小鳥の亡骸を見つけるところから始まります。
子どもたちは戸惑いながらも、小鳥のために自分たちなりのお葬式をしようと考えます。花を集め、小さなお墓をつくり、静かに手を合わせる。
そうして小鳥を見送る中で、子どもたちは少しずつ「死」という出来事と向き合い、それを受けとめていきます。

そこに描かれているのは、父や母、祖父母といった身近な人の死でもなければ、テレビや新聞で目にする遠い国の出来事でもありません。
子どもたちが日々遊び、生活している、その身近な世界の中で出会う「死」です。

小さな命が亡くなったとき、どうすればよいのか。
子どもたちは戸惑いながらも、自分たちなりに考え、小鳥を弔おうとします。
その姿からは、命を悼む素直な気持ちや、生き物の死に向き合おうとするまなざしが、行動や言葉の一つひとつから静かに伝わってきます。

「死」というものを無理に遠ざけるのではなく、かといって重く説明するのでもなく、子どもたちの自然な営みの中で、やさしく描かれている絵本です。

亡くなった命をそっと見送り、手を合わせる。
そんな行為の中に、私たちが大切にしてきた「弔い」の心が、静かに息づいているようにも感じられます。

仏教では、「生と死」は切り離されたものではなく、ひとつながりの「いのち」の姿として捉えられてきました。
誰かの死を悼むという行為は、その人のいのちを大切に思うと同時に、今ここにある自分自身の「生」を見つめ直す時間でもあります。

野原で見つけた小さな小鳥を、子どもたちが自分たちなりに見送る。
その姿は、とても素朴で、どこか初々しく、そしてとても尊いものに感じられます。

「死」を遠ざけてしまうのではなく、静かに手を合わせ、そっと見送る。
その小さな営みの中にこそ、命を大切に思う心が育っていくのかもしれません。

『ことりのおそうしき』は、そんな「いのち」と「弔い」を、やさしく教えてくれる一冊です。

お子さんと一緒に読むのはもちろんですが、大人にとっても、いのちについて静かに思いを巡らせる時間を与えてくれる絵本のように感じました。