覚えざるに、衣湿る

寒さも本格的になってきました。同時に自動販売機でいう「あったか〜い」が沁みる今日この頃。
2025年最後のブログということで、今回は私の修行前から今を縮小スペシャルで振り返ってみようと思います。
私は僧侶になるため、福井県の永平寺で1年間の修行生活を送りました。
厳しい作務や坐禅に身を置く中で、ふっと時間が空く瞬間があります。
そのとき決まって、家族は今何をしているだろうか、就職した友人たちは仕事を頑張っているだろうか、そんな思いが浮かんできました。
外の世界から切り離され、お寺から出ることもできない自分の立場が、その思いを余計に悲しさや辛さとして胸に広げることもありました。
それでも、その感情をどうすることもできず、また次の作務へ、次の坐禅へと向かっていく。
今振り返れば、あの一年は、何かを得ようとする時間というよりも、迷いや寂しさを抱えたまま、それでも歩みを止めなかった時間だったように思います。今、できることは考えることではなく、目の前のことを丁寧に行なっていくことなのだと気づいていきました。
永平寺へ向かう前、檀家さんから「頑張ってお勤めしてきなよ」「帰ってくるまで生きてっから」と声をかけていただきました。
その言葉は決して大げさなものではありませんでしたが、修行の最中、心が折れそうになるたびに、静かに背中を押してくれる存在でした。
永平寺を下山後、曹洞宗総合研究センターにて5年間、研修と学びの時間を過ごしました。
その中で、私が考えに考え抜いた法話や文章を校正していただく機会が何度もありましたが、正直に言えば、けちょんけちょんにされたことも少なくありませんでした。
「うるさーい」「なんなんだこいつー」と心の中で思わなかったと言えば、嘘になります。
それでも、その指摘は言葉の表面だけでなく、僧侶としての姿勢や在り方そのものに向けられていたのだと、今では感じています。
当時は受け止めきれなかった言葉が、満福寺に戻り、檀家さんの前で話すようになってから、ふと腑に落ちる瞬間があります。
満福寺に戻ってきた頃、檀家さんから「檀家さんを大切にするお坊さんになるんだよ」と声をかけていただきました。
その言葉に、期待と同時に大きな責任を感じました。
これまで長い年月にわたってお寺を大切に支えてくださってきたこと、そしてこれからへのエールを、確かに受け取った気がしました。
『正法眼蔵随聞記』に、次の言葉があります。
「霧の中を行けば、覚えざるに衣湿る」
『正法眼蔵随聞記』
永平寺での1年、研修の5年、そして今のお寺での暮らし。
そのどれもが、霧の中を歩くような時間だったのかもしれません。
自分では成長している実感がなくても、気づけば、周りの方々の言葉や姿勢、ご縁に包まれながら、少しずつ身がととのえられてきたように感じます。
今、僧侶として日々を過ごせているのは、決して一人の力ではありません。
これまで関わってくださった多くの方々のおかげで、今日も法衣に袖を通すことができています。
これからも、霧の中を行くような心持ちで、先を急がず、一つひとつのご縁を大切に歩んでいきたいと思います。


