隻手音声ーせきしゅおんじょうー

慣れのせいなのか、あるいは日常が忙しく充実しているせいなのか、更新日がじりじりと迫っていることに目を背けて、本日を迎えました。小学校の夏休みの宿題は最後の1日にドリルに向かって「はじめまして」と挨拶をするタイプでした…。そういうときはいつも「前々からやればよかったー」や「兄ちゃん手伝えよー」など、わがままを言っていました。

そういう思いは他者や環境に対しても、自己中心に考えてしまう時があります。

そんな自分に反省を込めて、この禅語をエッセイとともに引用させていただきます。

できるとしたら、何をする

「これがあったらできるのに」

「これがないから、ダメだよね」

私たちは、多くのことに条件をつける。

その条件が揃わなければできない、と自分の限界を決める。

必要なものが揃っていればいいけど、

なければないのも面白い。

あなたが自分で感じている限界も

ここまでだよ、と

誰かに線を引かれたわけでもない。

いまの条件でもできるとしたら?

限界がないとしたら?

あなたは何をするのだろう。

『禅語エッセイ』監修 武山廣道 文 ひらたせつこ

隻手音声(せきしゅおんじょう)という禅語からのエッセイです。

隻手音声とは、両手を叩けば「パン」と音がします。では、片手だけの音だけ聞いてみよという禅問答(公案)。自分で決めた「常識」や「思い込み」を疑い、理屈や言葉を超えて物事に、そして自分自身に向き合うことを言います。

他者や環境とのつながりがあり、おかげさまで生きていることを感じつつ、主体的かつ積極的に日々精進していきたいものです。