お寺の外で結ばれるご縁

「お寺の社会貢献」

そう聞くと、私は少し身構えてしまいます。

地域のために大きな催しを開くこと。

困っている人を支える事業を始めること。

多くの人を集め、地域の課題を解決すること。

もちろん、そのような活動も大切です。

しかし、「社会貢献」という少し大きな言葉を前にすると、

「満福寺には、そこまで大きなことはできないなぁ」

「人手も時間も十分ではないなぁ」

と、始める前から考えてしまうことがあります。

先日、『地域寺院』という冊子の中で、兼職をしながらお寺を守っている僧侶の方がたによる座談会を読みました。

その中で、「お寺の社会貢献とは何か」という話題が取り上げられていました。

印象に残ったのは、社会貢献とは、必ずしもお寺が新しい事業を始めることだけではない、という視点です。

僧侶が仕事を持ち、地域の中で働くこと。

町内会や福祉の活動に加わること。

子どもたちと関わること。

地域の一人として、誰かと一緒に汗をかくこと。

そうした日々の関わりもまた、地域とお寺を結ぶ大切な営みなのではないかと語られていました。

お寺で待っているだけでは

お寺と地域のつながりを考える時、私たちはつい、

「どうすれば、お寺に人が来てくれるだろう」

と考えます。

坐禅会や写経会を開く。

子どもたちが参加できる行事を企画する。

誰でも入りやすい雰囲気をつくる。

前回の記事でも書いたように、お寺をひらき、さまざまな人の「できる」が集まる場所をつくることは、とても大切だと思っています。

しかし、どれだけ門をひらいていても、お寺に足を運ぶことのできない人がいます。

お寺には用事がないと思っている人。

宗教とは少し距離を置いている人。

興味はあっても、門をくぐることにためらいを感じる人。

毎日の生活に追われ、お寺へ行く余裕のない人。

お寺で待っているだけでは、出会えない人がたくさんいます。

それならば、こちらから地域の中へ出ていく。

そのこともまた、地域とつながるお寺の姿なのだと思います。

僧侶ではない時間の中で

私自身、お寺の外で人と関わる機会があります。

体育館で子どもたちとバスケットボールをする時。

病院で臨床宗教の実習に取り組む時。

保護司として地域の方と向き合う時。

そうした場所では、初めから「お寺の副住職」として出会うわけではありません。

バスケットボールの指導者として。

実習に訪れている一人として。

地域に暮らす一人の人間として。

同じ場所に立ち、同じ時間を過ごすところから関係が始まります。

「今日は暑いですね」

「最近、どうですか」

「昨日の試合、惜しかったね」

そんな何気ない言葉を交わすうちに、少しずつ相手のことを知り、こちらのことも知ってもらいます。

後になって、

「お寺の人だったんですね」

と言われることもあります。

順番としては、先に僧侶としての立場があるのではなく、先に人と人との出会いがある。

私は、その順番も大切なのではないかと感じています。

つながりを橋渡しする

普段からお寺にお参りする方と、ほとんどお寺に足を運ばない方。

子どもと高齢者。

地域の活動に積極的な方と、少し距離を置いている方。

私たちの暮らす地域には、それぞれ異なる場所で生活し、なかなか出会うことのない人たちがいます。

お寺の外で生まれたつながりが、何かのきっかけで別のつながりと結ばれることがあります。

体育館で知り合った方が、親子坐禅会に参加してくださる。

病院や福祉の現場で耳にした声が、お寺でできる活動を考えるヒントになる。

地域の集まりで知り合った人同士が、お寺の行事で再び顔を合わせる。

一つひとつは小さな出会いです。

しかし、その小さな出会いが重なることで、それまで離れていた人や場所の間に、細い橋が架かっていきます。

それは、目に見える立派な建物ではありません。

何かあった時に、

「あの人に相談してみよう」

「あのお寺なら話を聞いてくれるかもしれない」

と思い出してもらえるような、目には見えない橋です。

こうした人と人との間にある信頼やつながりも、地域を支える大切な力なのだと思います。

同じ場所に身を置く

仏教には「同事」という言葉があります。

相手を遠くから眺めたり、上から導こうとしたりするのではなく、同じ場所に身を置き、相手の立場に近づきながら共に歩むことです。

僧侶だから、何か特別な答えを持っていなければならない。

僧侶だから、困っている人を必ず救わなければならない。

そう考えてしまうと、身動きが取れなくなります。

けれど、すぐに答えを出すことはできなくても、同じ場所にいることはできます。

一緒に身体を動かす。

一緒に悩む。

相手の話に耳を傾ける。

自分にできないことがあれば、できる人につなぐ。

それもまた、地域の中で僧侶ができることなのではないでしょうか。

内と外を行き来する

お寺の外へ出ることは、お寺の務めを軽く考えることではありません。

むしろ、外へ出ることで、地域に暮らす人たちの声や悩み、喜びに触れることができます。

そこで受け取った声を、お寺へ持ち帰る。

そして、お寺の中で大切にしてきた、静かに坐ること、手を合わせること、相手の話を急がずに聞くことを、地域の中へ持っていく。

お寺と地域の間を行き来することで、初めて見えてくることがあるように思います。

前回の記事では、誰かの「できる」が集まるお寺について考えました。

地域の皆さんをお寺へ迎えること。

そして今回考えたのは、私たちがお寺の外へ出て、地域の中に身を置くことです。

人を迎え入れることと、こちらから出向くこと。

その両方を繰り返しながら、お寺は地域とつながっていくのだと思います。

呼吸をする時、息を吸うだけでも、吐くだけでも続きません。

外から受け取り、内から送り出す。

お寺もまた、そのように地域と呼吸する存在でありたいと思います。

大きな社会貢献はできなくても、まずは目の前の人と挨拶を交わすことから。

地域の一人として、同じ場所に身を置くことから。

満福寺も、お寺の中と外を行き来しながら、一つひとつのご縁を丁寧に結んでいきたいと思います。

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