そばにいるひと

東京に住む友人から届いた手紙に、「桜が満開です」とありました。
その便りを読んで、ふと境内の桜を見上げると、まだ咲く気配すら感じない固い蕾。けれど、その小さな蕾の中に、これから開く春の気配を思い、楽しみに感じている今日この頃です。
そんな春の気配とは裏腹に、私の心の中では、少々たるんだ自分が顔を出しています。
たるんでしまう自分に
「これでいいだろう」
「また後でやるか」
「今日だけおやすみ」
そんな理由をつけて、取り組むべきことを放棄してしまう事案が多発しています。
いざ取り組み始めても、後半には「もう十分ではないか」と、やめる言い訳を探している自分がいます。そしてズルズルと先延ばしにして、このブログの締切も幾度となく突破してきたことか…。
そんな私の心に浮かんできた言葉があります。
人人皆、道を得ることは衆縁による。
『正法眼蔵随聞記』
人人(にんにん)皆、道(みち)を得(う)ることは衆縁(しゅえん)による。
人がそれぞれの道を歩んでいくことは、さまざまなご縁によって支えられている、という意味です。
中学、高校とバスケットボールに明け暮れていた頃を振り返ると、吐きそうになるほど厳しい練習にも耐えることができたのは、同じ目標に向かって頑張る仲間がいたからでした。
また、永平寺での修行の日々を思い出しても、同じ修行に励む仲間がいたからこそ、一日一日を勤めることができたのだと思います。
そして今、こうして「今日はやめておこうか」と言い訳を探している私の背中を押してくれるのも、やはりご縁です。
檀家さんからいただく
「ブログ見てるよ」
「楽しみにしてますよ」
という何気ない一言。
その言葉に、「ああ、書かなくては」と思い直し、こうして机に向かっています。
人は一人で頑張っているようでいて、実は多くのご縁に支えられて歩んでいるのだと、改めて感じます。
境内の桜も、春の陽ざしや雨、風といったさまざまなご縁によって花を開かせます。
まだ固い蕾を見上げながら、私もまた、周りのご縁に支えられていることを忘れずに、一つひとつの勤めに向き合っていきたいものです。

