迷いながら…

僧侶として、ご葬儀やご供養に携わるようになって、9年になりました。
その間に多くのお別れを目にした一方で、また新たな関係を結び直す方もいました。

お葬式の場は、簡単にいえば「お別れ」の時間です。
しかし同時に、「これからどう生きていくのか」を見つめ直す時間でもあります。
亡き方を偲ぶ中で、これまで気づかなかった感謝の思いが生まれたり、
長く離れていた家族が言葉を交わしたりする姿を何度も見てきました。

私自身も、どのような姿勢で、どのようなお話をすることが、
故人様に対しての弔いになり、ご遺族の方々の慰めになるのか
いつも悩みながら、ご葬儀の場に立っています。

亡き方の人生を思えば思うほど、
言葉が見つからないこともあります。早くにお母さまを亡くされた方、お子さまを亡くされた方など様々…。

「がんばりましたね」と声をかけたいときもあれば、
「もっと生きたかったでしょう」と心の中で思いながら、胸が詰まるときもあります。
僧侶として何を語るべきか、そのたびに自分に問う日々です。

そのようなときに私の心に響くのが、道元禅師のこの言葉です。

「知るべし、行を迷中に立てて、証を覚前に獲ることを。」

『学道用心集』

迷いながらもその中で、「行」、いわゆるご葬儀後供養における儀礼やご遺族に寄り添い、経を唱え、鐘を打ち、焼香を導く。

僧侶である私もまた、その迷いの中に立つ1人です。迷いながらも、祈り、言葉を紡ぎ、心を込めて導いていく。
その行為そのものが、故人様へのご供養であり、ご遺族の方々とともに歩む仏道の一端なのだと感じ、精進して勤めております。