この本読もっかな。#2

ブログの更新を優先順位の末端に設定していることをお許しください。以後、(出来る限り)気をつけます。
『禅僧が教える 考えすぎない生き方』藤田一照
明日ブログを書こう。そのブログは2000字は書くべきだな。
明後日までに法話を考えよう。以前に聞いた人の法話は立派だったからそれ以上にしないと。
それまでに坐禅についての本を読もう。本を読めるゆっくりした時間があればなー。
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私たちは毎日、あらゆることに思いを巡らし、行動し続けて、その結果をジャッジしていることだと思います。時にその毎日が自分の心身をおかしくしたり、痛めたりして、出口のないトンネルを走っているかのごとくしんどい日々となり、心が沈んでしまうこともあると思います。
そのような毎日を仏教に学んだ革新的な考えの実践(思考法/ものの見方・捉え方)によって、心をラクにしてくれる一冊です。
この本の冒頭にはこのように書かれています。
「不思(人間の思惑を超えた自然)」を「不思」のままにしておく。
自由を妨げている頑なな思い込みや先入観、価値観を手放す。
これこそが「私」だと固く握りしめているものを、ほどく。
ハートのしたいことを遮二無二コントロールするのを、やめる。
損得勘定、取引勘定で動くメンタリティを、棚上げする。
「次はあれをやらなきゃ、これをしなきゃ」とあくせく生きることから降りる。
「正しい」「間違っている」とか、「良い」「悪い」といった基準で比較しない。
取り戻せない過去を悔やまず、わからない未来のことを案じない。
「こうあったらいいな」という理想に、執着しない。
今、ここに「ある」ものからやってくる助けを、拒否しない。
感情や思考がダラダラと流れている日常に、一服を入れる。本書 pp.5-6
このどれかの1文でも興味があれば、手に取っていただければと思います。これらのトピックを具体的かつ仏教的にわかりやすく書かれています。
例えば、本書では「こうあるべき」という自分で勝手に設定した「縛り」に苦しんでしまうこと。自分の「こうあるべき」という理想と現実のギャップにひとりで苦しみを生み出してしまっていることをあげています。
仕事とは、人づきあいとは、こうする「べき」「べからず」。夫なら、妻なら、こうある「べき」「べからず」。私たちは、こうした「べき」「べからず」に知らず知らずのうちに支配されているのですが、いつしかそう思い込んでしまった「気のせい」で、ちょっとした行き違い程度で相手との関係性が切れてしまう人がいます。
「あれはこうあるべきだ」「これはああするべきでない」を考えの基準にして生きてしまうと、「どうすれば”いい”のか」「どうすることが”正しい”のか」と何事に対しても「○×」でしか考えられないばかりでなく、自分に課しているルールを他人にも課してしまいがちです。他人を裁いてしまうんですね。逆に他人に当てはめている評価枠で、自分も裁いてしまいます。
これによって自分の正当性を他者に向かって、立証しようと励んでしまい、関係を悪化してしまいます。
本当は決まりきったたったひとつの正解というものはなく、その状況に応じて変化していくものだと思っていれば、他者を気付けることなく、ラクな人間関係を築け、自身もラクな生き方へとつながっていくはずです。
現代、多くの情報が飛び交い、目まぐるしく過ぎていく日常に仏教の見方を取り入れてみてはいかがでしょうか。