『禅とジブリ』

これまで積読(買った本や雑誌が未読のままの状態)されていた本を年内中にできる限り(読破せずとも)手に取るようにしようと決めた残り2ヶ月。

その1冊目に選ばれたのが『禅とジブリ』でした。

この時代をどうやり過ごすか?

この本はスタジオジブリ・プロデューサー鈴木敏夫さんが3人の禅僧と自然体な言葉で「ジブリ作品」「禅」「人間関係のお悩み」などについて語られています。今を生きるすべての人にジブリから、あるいは禅から生きるヒントを与えてくれると思います。

本の帯には「この時代をどうやり過ごすか?」という命題が付されており、本書を読み進めながら、自分なりの答えを探求できるはずです!しかも、ジブリの作品を回想しながら。読み終えた頃には、ジブリ作品を欲していることだと思います。

実際にジブリと禅の重なったシーンを禅僧の細川晋輔師(臨済宗 龍雲寺住職)が語っています。

細川 ジブリ作品には、禅僧としても学べることがたくさん詰まっています。禅で、梁の武帝が「お前は何者だ」と達磨さんに訊くと、達磨さんは「不識(わからない)」答える、という問答があるんです。「もののけ姫」を観ていて、ハッとしたんですね。「もののけ姫』に、モロというヤマイヌのキャラクターが出てくるのですが…。あ、鈴木さんに言うのもおかしいですね。

鈴木 はは。ちょっと知っています。

細川 モロが主人公の少年アシタカに「お前にサンを救えるか」と訊く場面がありますよね。ヒロインを救えるか、と。アシタカは「わからぬ」と答えるんです。このセリフに禅問答のような深いものを感じたんです。

鈴木 へぇー。なるほど。

細川 主人公なら「救う」と言ってほしいじゃないですか。でも「わからぬ」と。その後に続けて、アシタカは「だが、共に生きることはできる」と言う。これは、達磨さんの言った「不識」じゃないか、と。私は京都で9年間修行して2011年にこの寺に帰ってきましたが、直後にあの東日本大震災が起こり、数週間被災地で活動することにしたんです。その中で、アシタカが「わからぬ」と言った強さがより身にしみるようになりました。被災者の方から「死んだあの人に会えますか」と訊かれて、「会えます」とは簡単に言えませんよね。でも「会えない」とも言い切れない。「わからない」というのが本当の答えではないかと思いました。しかし、「共に生きることはできる」と。私たちは、明日の天気もわからないような存在です。けれども幸せを祈って生きていくことはできる、というのが仏教の根底にある思想なんです。「不識」、つまりわからないことこそが人生なんです。むしろわかってしまったらおもしろくない。

『禅とジブリ』鈴木敏夫 pp.35-37

これを読んだ時は、うんうんと頷きながら、読み進めていました。それと同時に『もののけ姫』のワンシーンを思い出しました。

『もののけ姫』の後半にシシ神さまの首が取られ、デイダラボッチになり、触れると死んでしまうドロドロの液体がデイダラボッチから溢れ出し、住まいや仕事場もあった「たたら場」にも押し寄せ、火の手も上がり壊滅状態。それをみた甲六(村人)が「もう終わりだ」と絶望します。その際に甲六の妻であるトキが「生きてりゃ何とかなる!」と力強く言い放ちます。どんな状況においても、今を生きる、生きようとする力強さを感じる場面です。

肉体的にも精神的にも疲弊してしまう時がたまにはあると思います。悩み苦しむこともあるこのご時世に、ずっーと悩まず「不識」、わからないという答えも答えとしてあるということを教えてくれています。

それと「たたら場」の場面からは、生き抜く気持ちを持つこと。一方で、周りに苦しんでいる人がいれば、トキのように鼓舞し、寄り添い共に生きること。

その実践こそがこの時代を心豊かにやり過ごしていけると思います。

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