カワガンジョウ

遅いですが…夏といえば、海!

ということで、気仙沼の海は、環境省の「快水浴場百選」の特選に選ばれた大島の小田の浜海水浴場や道の駅大谷海岸が徒歩約1分の大家海水浴場、そして、サーファーの方に人気がある小泉海岸海水浴場があります。(https://kesennuma-kanko.jp/kaisuiyoku2024/

海に入り泳ぐのもいいですし、波の満ち引きをのほほんと見ているのも良いものです。

刷って、刷って、手が痛い思い出…

お盆、春彼岸、秋彼岸になると、「カワガンジョウ」と呼ぶ横約7センチ、縦約20センチの2枚の札を刷り、お檀家さんにお配りします。

杉の木を薄く削った板に、片方に「南無釈迦牟尼如来(仏)」もう片方には「為先祖代々菩提(諸精霊)」と刷られ、「カワガンジョウ」ができます。私が小さい頃に、彫り込んだ板木に一回一回墨を付け、体重をかけ、ひたすら刷り込んだことを覚えています。板木の出っ張っているところに何百回と体重を乗せるため、最後の方には痛みに耐えながら刷っていました。

この「カワガンジョウ」ですが、宮城県の中でも気仙沼市の地域の習俗のようです。

宗教人類学・宗教文化論を専門に研究をされた佐々木宏幹先生は「カワガンジョウ」についてこのようにおっしゃっています。

『仏教辞典』(中村元他編、岩波書店)を見ると「かんじょう」には「勧請」と「灌頂」とがあり、前者は梵天勧請をはじめ、法要において諸仏菩薩にその場へ来臨するよう祈願要請することを意味する。後者は密教で行なう頭頂に水を溜ぎかける儀式であるとし、諸例を挙げている中で「流れ灌頂」について述べてある。「流れ灌頂」とは死亡した妊産婦や水死者はじめ無縁の死者の回向や魚類供養などのために行なう仏事であり、水によって罪穢を浄める在来の禊の習俗に密教の灌頂を結びつけ、灌頂幡の功徳で、死者の滅罪を願う日本で始められた供養法であるという。さらに板塔婆の上に幡を懸け、これに陀羅尼や経文や弥陀名号を書き、誦経供養して水中に流す。宗派や地方によって作法に相違があり、板塔婆を流すこともある。これが民間習俗化して各地に残り、〈川灌頂〉とも呼ばれるとされる。どうやら「カワガンジョウ」または「カガンジョウ」は「流れ灌頂」に由来することはほぼ明らかになったと言えよう。

佐々木宏幹 『仏教人類学の諸相』

昔は気仙沼でも「カワガンジョウ」を仏壇に祀り、お盆、春彼岸、秋彼岸が過ぎるたびに川に流していたそうです。今は、環境保護の観点からお寺の古札入れに納めていただいています。

お釈迦さま、故人様、先祖の方がたに思いを馳せる時間をつくり、感謝とともにお線香をあげ、手を合わせていただければと思います。

前の記事

お盆休み

次の記事

東京から来て、お寺で1泊